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スポーツ界を仕事場に選んだ若造が、見て・聞いて・感じたこと。
月日のたつのは、、、
 早いもので、留学のためにアメリカ上陸して以来、10年が過ぎました。今はなきヴァスピ・ブラジル航空のMD11型機で、私と家内と長女の3人が、スーツケース2つ、段ボール箱4つを持って関西空港を飛び立ったのは、1997年、8月3日のことでした。

 ロスアンジェルス国際空港からレンタカーに乗り、アナハイムのホリディインに向かう途中、トーランスにあるヤオハンに立ち寄り、「料理の鉄人」で有名な某浄水器を購入するついでに、ここに来れば日本に帰ったような気分になるよ、とすこしでも家内や長女のアメリカ生活に対する不安が和らぐようにと思いながら店をみてまわりました。

 翌日からアパートに入居し、電気・電話・水道などの手続きをしたり、生活に必要なものを購入してくたくたになったことや、車の購入を最後に回したため、予算的に苦しくなり、とんでもないボロ車を購入してしまったことなど、今となっては遠い昔の思い出です。
 翌98年には長男が誕生、そして2000年には次女が誕生と所帯は大きくなっていったものの、2004年春に就職のため帰国するまでの6年と8ヶ月の間、フラトン市の東のはずれ、道路を渡れば隣のプラセンチア市という場所に建つ2LDKのアパートで、日々紆余曲折・試行錯誤のアメリカ生活をおくりました。

 2004年、修士課程を終えて日本に帰国する前日、私の恩師であり上司でもあったM氏よりこんなことを聞かれました。

「ヨシ、お前のドリームジョブは何だ?俺はもう孫がいる歳だが、今でもロスアンジェルス・レイカースのアスレティックトレーナーをするのが夢だ」

そしてその理由も聞かせてくれました。私はしばらく悩んだあと、収入を考慮にいれないなら、としたうえで(だからドリームジョブなんですけどね)、

「大学で一年のうち半年はアスレティックトレーナーとして、そして残りの半年は教育者として勤める形で働きたい、夢というよりは理想だけど」

と答えました。そうすればアスレティックトレーナーとして遠征などで家を空けても、オフシーズンには教員となることで週末など家族との時間を確保できるからです。またアスレティックトレーナー養成教育においても、教育者自らが、試合などイベント時だけのお客さんとか、チームに学生を連れてくるだけの引率者としてではなく、チーム本来のアスレティックトレーナーとしてシーズン中、全日程に密接して活動することによって、現実の症例などの経験が得られ、そのことが学生への指導に最も効果を生むと考えていたからです。

 残念ながら今は家族とは離れ離れの単身赴任で、しかも教育の現場から遠ざかっていますが、つい先日、今の私をみてM氏が、

「25歳を過ぎて、しかも家族を連れて海を渡ってきたんだから、一筋縄ではいかないと思っていたよ、だからヨシがここを離れるときにあんな質問をしたのさ、でも積んだ経験が活きてくるときはきっとくる」

と言いました。さすがに亀の甲より年の功、すべてはそのころからお見通しだったようです。

 この先自分のキャリアがどういう形に展開してゆくのかはまだわかりません、そして今自分にできることを精一杯やることでしか将来を切り開いて行けないのはよく判っています。まずは、初めてここへ来たときの気持ち、最後にここを離れたときの気持ちを大切にして一日一日努力して行きたいと思います。
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